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懐中のトッケイ

わたしはここでかわいていく

at the BLACK HOLE

穴がある。

目の前に大きな穴がある。

困ったことに人間は、それを気にせずにはいられない生き物だ。

 

思えば小惑星がどっかんどっかん衝突してできあがったらしい地球という惑星に住んでいる以上、その誕生の舞台そのものが穴だらけで生まれてきたのだから、これはもう我々がまだ多細胞分裂を覚えていない時代から遺伝子に刻まれた太古の記憶とみて相違ないのだ。

しかし何万年も前に洞窟からでてきたというのに何を思い間違ったのか穴を横から縦に変えて居を構え、あげく文明に栄えある今日21世紀においていまだに「穴があったら入りたい」などと腑抜けたことを言っているのは事実人間くらいなもので、おそらくウサギがこの先進化の過程で巣穴を抜け出して道具を使い火を覚えうんたらかんたらスマートウサフォンをすいすい動かしている時分にはそんなことはまず言わない。では彼らは何というか?そんなことはウサギにきいてくれ。ウサギはなんでもしっている。

とかく我々は穴というものにとらわれ続けて生きてきたなんともしようのない動物である。しかもたちの悪いことに我々は言葉というやっかいなものを覚えてしまったがために、「穴」を単なる「穴」として観測することができない。

いいだろうか? 目の前に穴がある。

その他大勢の動物にとっておそらく穴は穴でしかない。せいぜい自分が通り抜けられるかどうか、肩骨・腰骨の幅より大きいか小さいかぐらいしか考えずに済んでいるのだが、いかんせん我々は言葉を覚えてしまった。これはやっかいなことだ。我々人間にとって穴とは単なる穴ではない。同じ穴でも掘る穴、空く穴、空ける穴、落ちる穴に覗く穴など、その原因用途はさまざまで、しかもそのどれもがみな一様に深遠なる趣をもって我々に対してくる。これには困った。いったい目の前の穴がどうしてできたもので、いったい何に使われて、どんなおそれのあるものなのか。我々はそれらを常に考えずにはいられない。そうしてそれを自分の身で試さずにはいられない。

あるいはのぞき、あるいは指をさしこむなどしてしまうのだ。

実に愚行である。

この穴はなんだろう?

わたしはかつて眼球に鋭い息を吹きかけられた。(まだ「穴」と「筒」の区別がついていなかったのだ。)

この穴はなんだろう?

わたしはかつて指先をゴカイに噛まれた。(驚いたことにゴカイは噛むのだ。デス・ワームとでも改名してほしい。)

人類が進歩したことは一度もない。

 

視点を変えれば、穴というのはそれ自体ひとつの境界であり、こちら側とあちら側を結ぶものでもある。トンネルというのはそのわかりやすい例だが、向こう側へ「抜ける穴」だけでなく底のある「掘る穴」にしたって、そこには内と外、影と光という強烈な二項対立がすでに生まれてしまっている。立派な境界である。

よく心霊譚なんかで穴を覗いたときにまかりまちがってみてはいけないものをみてしまったりするのはそのせいで、わたしもうっかり得体も知れぬ穴をのぞいてしまったときそのことを思い出してひやっとするのだが、幸いなことにわたしに霊感などというものは皆目備わっていないので、このほどまで無事に過ごしてきた。そんなものよりずっと怖い穴がある。

そう、目の前に穴がある。

なるほど穴とは境界である。こちら側とあちら側を否応なくつなげてしまうものなのだ。見えてしまうのだ。見られてしまうのだ。

あなたが深淵を覗くとき深淵もまたあなたを覗いているのだ、という有名な文句があったが、わたしの現状を鑑みるにいままさにそれである。

こまったことだ。指を入れたのがまずかった。人類は進歩しないのだ。

わたしは公衆トイレの鏡にズイとおしりを突き出してその様を確認した。なにやらおかしいな、と思った時点でやめておけばよかったのだ。もしかしてこれは穴だろうか? いや、どうだろう……お、小指が入るな? さてはこれは穴だな。なんと、人差し指もはいるではないか。なに? ちょっとまてよ……こうして自分で穴を広げているのだから世話がない。

わたしはわたしのおしりに開放してしまったゲートを鏡越しにまじまじと確認しながら「穴」ということを考える。境界の向こう側からうすい色のドット柄の下着がのぞき、暗色のズボンに明確なコントラストを与えている。誰かこの深淵をのぞきみただろうか。なるほど広がった穴は目の形に見えなくもなかった。鏡の向こうで、ドット柄の深淵がわたしを見つめ返してくる。うるさい、人のパンツを深淵っていうんじゃあない。

ところで鏡の効用のひとつは、現実にあることを「向こう側」の出来事にしてしまうことだろう。わたしは穴から下着が覗いているおしりをこちらへ向けている奇妙な風体の人間をその場に残し、トイレを出た。

頑張ればこれもダメージ加工ということにならないだろうか。

道行く人のズボンを見守りながら、わたしはロータリーの植え込みに座っておしりを隠していた。残念なことに鏡の効用は長くはもたなかった。別段人と会うわけではないのだけれど、どうも格好がつかないし、自分の体に意図せざる穴が空いているというのは落ち着かないものだ。

さてどうしたものか。コンビニに裁縫セットなんて売ってるだろうか? 寡聞にして聞いたことがない。見える範囲にコンビニがあるにはあるが、そこまでいって売ってなかったらどうする? わたしの深淵はその間だれにのぞかれるとも知らない。わたしはまだおしりの目での睨み方を知らないから、それは困る。

そうこうするあいだにも、わたしは針にも穴があるんだよなということをまんぜんと考える。とかく人の世は穴だらけである。我々はもう包囲されている。逃げ場はないのだ。

ああ、もういっそ新しい替えのズボンでも買ってしまえばいいのだ。

そう気づいた私は、目の前の駅ビルに入った衣類量販店を目指すべく、勢いよく立ち上がって、「ビリッ」という不穏な音を聞いた。

ああ。

あああ。

人の世は穴だらけ。ああしかし。だがしかし。諸君、穴があっても指を入れてはいけない。

わたしはバッグでおしりを隠しながら、できるだけ人を避けるようにして駅ビルに入った。まあ、そんなことをしても、避けれらる量ではなかったのだけれど。

まことに残念ながらわたしはウサギではないので、こんなときに言えることといったらただのひとつである。人類は進歩しないものだから、恥を忍んで申すところではあるけれど、こればかりはしかたがないのだ。

穴があったら、入りたい。