懐中のトッケイ

わたしはここでかわいていく

絶望という名の地下鉄

この箱は、わたしをいったい、どこへ連れて行こうというのだろうか。

ドアが閉まり、わたしの風景の一切は闇に掠め取られた。

 

これは都会と田舎をひとたび行き来したことのある人ならわかることだが、電車というのはよいものである。自分で運転しなくても、少しの運賃でからだを遠くまで運んでゆくことができる。しかも時間帯さえ選べば、おおかた座っているだけでいいのだ。こんなに都合のよいものはない。時折鳴らす警笛も「プァん」と小気味よいもので、レールの微妙な凹凸による揺れは、わたしをいつしか穏やかな眠りへといざなってくれる。

 

胸元のよだれは見なかったことにする。

 

田舎から都会へ飛び出して学生生活を送っていた時分は、こうしたことを特に気に留めることもなかった。まあなにせ他のいろいろが真新しくてそれどころではなかったのだから、しかたがない。たまの帰省にも移動時間が長いだけでさほど苦労したことはなかった。

しかし、卒業して実家へ身を寄せるという段になって、わたしの認識は一変した。

休日である。どこそこの美術館で気になっていた展覧会がある。よし見に行こうと思い立って、家の中に貼り出してあった時刻表を目にする。

ない。ないのだ。

電車がないのだ。

馬鹿を言ってはいけない。電車はある。確かにある。最寄り駅だって存在する。

しかしなんだこの時刻表の隙間は。

おびただしいまでの間隙は。

ここにきてようやくわたしは「帰ってきたのだ」という実感に打ちひしがれた。

いいや、帰ってきてしまったのだ。電車のない国へ。

わたしは予定よりずいぶんとあとの到着になってしまう電車に目星をつけると、やれやれと肩を落とした。そうしてもう一つ気がつくことには、駅までの移動手段が徒歩しか無いということだった。

わたしは目を見張って硬直する。

なにを当然のことをと思われるかもしれないがこれは大変なことなのだ。数キロという距離を歩けというのだから。文明人としては車を出してしかるべき距離である。しかしこのとき家人とその車はすでに出払っていて、わたしはやむなく準備を適当に済ませてとぼとぼと駅まで歩くことになる。ただ、心情としてはとぼとぼであるものの、電車をこれ以上逃すわけにはいかないので、これまたトッポトッポといったスピードで歩かねばならなかった。なんとか予定の電車に乗れはしたものの、なんだか打ちのめされたような気分で、わたしのからだは展覧会へと揺れる。揺れる。揺れる。

わたしは汗をかくのが大の嫌いなのである。

 

異常に少ない本数の列車には異常に少ない乗客しか見当たらず、さもありなんといったところである。住宅地から駅まで数キロもあるというのに、さしてバス網が発達しているわけでもない。このような地理的条件にあっては、地元の人間がさほど電車に乗ってどうこうしようもないのもうなずける話である。ここでは車のほうが断然に便が良い。車に乗っている方が自然な状態なのだ。何年も前に沿線主要駅近くの百貨店は閉店し、昔はいたはずの駅員が各地でいなくなり、券売機はきっぷではなく駅名の書かれた紙を出すだけの機械に変わっていた。

この路線をもっと下っていけば観光で栄える地域があるからには、さすがに駅や路線がなくなることはないのだろうけれど。しかし都会と観光地に挟まれた空白地帯の我々は、世間から隔絶されてただただやせ衰えていくだけのような気がする。

車窓には、えんえんと続く田園風景が広がっている。しばらくスピードが落ちないのは特急に乗っているからではない。鈍行ながら、停車する各駅の距離が長すぎるのだ。

しかしわたしはこの空白地帯の荒涼とした風景が実は好きだ。

確かにえんえんと続く田畑ではあるが、じいっと見ていると少し違いがあるのがわかる。遠くに工場が見えている。あの森は小学校の裏だ。冗談のような場所にある踏切は、自転車がやっとすれ違える程度の幅しか無い。打ちっぱなしのゴルフ場は、夜でも光っていてすぐにそれとわかる。ただジャスコには負ける、あれは別格だ。地域中の信仰を集める神殿のようなものである。今日も帰るころには煌々と祈りの火がともるのだろう。

主要駅で急行列車に乗り換えると、とたんに人が多くなる。いままで一体どこに隠れていたというのだ。絶対何人かはついさっきコピーペーストされた人間だろうと思う。ペースト産の人間たちでぎゅうぎゅうの座席になんとか座る。これだけ人がいるのに平気で眠ってしまうというのは、やはりどこかでみんながみんなのことをNPC(※)だとでも認識しているからなのだ。人垣で塞がれる風景とともに生身の人間は立ち消えて、ただ車内にはやや圧迫した空間と自分のみがある。心地の良い揺れ。眠っても致し方ないというものだ。

(※Non Player Character…ゲームなどで設定されている、プレイヤー以外の操作されないキャラクターのこと。ざっくり言えば村人A。)

 

終着駅で地下鉄に乗り換える。今度は押し込まれるように立って乗るしかなかった。目の前でドアが閉まり、得体のしれぬ何者かたちに背中を預けながら、わたしは窓の外を見ていた。グンと初動があると、車体はレールを滑るように動いていき、車窓からホームの明かりが遠ざかる。フッと暗くなる。残ったのは、揺れと、音と、圧迫である。窓があるのに景色が見えないということはわたしを不安にさせた。

トンネルというのはまだありがたいものである。そのおおよそが、山腹を貫通して進むために掘られたものであるから、どんなに長くても山を抜ける時が必ずやってくるからだ。

しかし地下となればどうだろうか。なんとなく乗ってしまったこの地下鉄は、地下を進んでいるからして、突然地上に出ることでもしない限り、なにも次に明るい場所に出られるとは限らないのだ。もしかしたらどこかでこのレールは細長く巨大な化け物の口腔とつながっているかもしれなくて、明かりの見えぬ間に我々は日夜知らずその化け物の口腔から肛門を高速で通り過ぎ、そのたびに何か栄養を抜き取られているというようなことはないだろうか。なにも考え過ぎなどということはない。時折視界をよぎる明かりは、外皮を通して周囲を照らす発光器を内側から見ているのかもしれない。いったい誰が走っている地下鉄の外を確認したことがあるというのか。窓に見えるのは反射した自分のしけた面だけだと、本当にみんなそう思っているのだろうか。

わたしは振り返って乗客の顔を見ようとして、ふっとみんなNPCであることを思い出した。この中で生身で考えているのはわたしだけなのだ。

わたしは反射する自分の眉間の奥に、断続する発光器官の隙間に、なにか粘膜めいたものが見えはしないだろうかと目を凝らした。

そうして次の駅が近づき、スッと大きな明かりが視界を覆いかけたとき、わたしは反射していた自分の顎のあたりに、ヌラリとした輝きを確かに見る。

あれは確かに化け物の粘膜である。そうわたしが感知したのはホームに押し出されたあとのことであった。NPCの波に乗りながらエスカレーターを上っていく中、ふと考える。このままのんきに美術展など見に行ってもいいのだろうか。わたしはなにか大変な体験をしたのではなかろうか。もしかしてみんな、アレに食べられてNPCになってしまったのではないか。だとしたら私の喉元に光っていたあの粘液、わたしももうすぐNPCのひとりになってしまうのではないのか。

む。む。む。

そうしてうなりながら顎の下に手を当てると、冷ややかな感触があり、すべてを察したわたしのもとへ一挙にもろもろの感情が去来する。

ああ、その、

 

これはさっき見なかったことにした、わたしのよだれである。

 

わたしはトッポトッポと美術館へ向かった。

 

帰りの鈍行列車の車窓には、例の通り打ちっぱなしのゴルフ場と、爛々たるジャスコ城が遠くある。多くの人の目に触れず、なんとなしに流れ去っていってしまうこの景色の中にもどうやら人間はいて、ひとりひとり、冗談のような踏切でイライラしながら鈍行のゆくのを待っていたり、小学校の体育館でクラブスポーツをしたりなどしているようだった。わたし以外の人間が日々を生きているのは至極当然のようで実はとても不思議な事であるけれども、やっぱりなんとなくそうであるのかもしれない。

NPCはもうおらず、わたしの周りは、わたしと同じ人間で溢れかえっていた。行きより少し人の多い車内の景色はむせるようににぎやかで、すこし、めまいのする思いだ。

最寄り駅で降りる。わたしの手には美術展で買ったポストカードの入った袋が提げられている。同じように街へ遊びに出ていたらしい何人かが降りてきて、家族であろう迎えに来た車に乗ってビュンといなくなる。その車にもナンバーがある。運転している家族がいる。嘘のようなことだけれど、きっとほんとうのことなんだろう。

そんなふうに思うのだから、わたしは確かにあの地下鉄の化け物に、なにかを食べられたのかもしれなかった。ハンカチでぬぐったあのよだれは、もしかしたら、やっぱり。

わたしは迎えを頼まなかった。もし迎えに来てもらった家族がNPCだったりしたら困るので、これは家に帰ってみるまでとっておこうと思ったのだ。

そんなわけでわたしはまた来た道を数キロも歩いて行くことになったのだが、その足取りは来た時のようにとぼとぼもしていなければ、特段トッポトッポする必要もなかった。

 

ただおなかがグウとなったので、わたしもなにか地下鉄めいたものを口に入れたい気分であったことは確かだ。