懐中のトッケイ

わたしはここでかわいていく

ハートの火をつけて

引き合う孤独の力にあらがう術があるなら教えてほしいものだ。

わたしたちはたった一人で宇宙を漂ったっていいはずなのに、どうやらそれはできないことになっている。

 

まったく別の文脈の中で、磁石について触れたことが以前(鉄風 鋭くなって - 懐中のトッケイ)にもあった。誰しもが手に取ったことがあり、日常にあふれ、すぐさま思い浮かべることのできるものではあるが、磁石、果たしてあれはなんだ。なんという物質なのか。磁石とはなんだ。いったい何でできている。鉄か、いやでも他の鉄は鉄にくっつかない。磁石と接触させれば鉄にも磁力は与えられるが、ではもとの磁石はいったいどこから来たのか。よしんば磁石が鉄であったとして、では鉄はいかにして磁力なるものを手に入れたのか。わたしももう今年で三十の手前にもなるのだが、長らく文系の虚学に傾斜してきた脳では、ついぞここまでその答えを得たことがなかった。

なに、疑問はもとからあったのだ。事の発端は中学生の時分。技術か何かの教材で小さなヤスリを手に入れていたやんちゃなわたしは、そいつを常時筆箱の中へ忍ばせ、目につくあらゆるものを削って粉にすることに心血を注いでいたときがあったのだ。危ないやつだ。消しゴムやシャープペンシルはもちろんのこと、例えばハンダの塊とか、筆箱の塗料とか、連絡帳とか、いろんなものを粉にしたものだが、しかしてそんな折にわたしは一個の磁石に行き会った。何の変哲もない短い円柱形で角が面取りしてある磁石である。よしきた、とばかりにわたしはヤスった。押さえている指が熱くなるほど一心不乱にヤスリを前後させると、黒っぽい銀色の粉があたりに散るのが分かった。やった、削れた! と思って喜んでいたわたしだが、ひとしきり削ったころから何も粉が出なくなった。粉でヤスリが目詰まりしたかな? と思いヤスリの面を裏返してわたしは驚愕する。先端と手元以外の、ヤスリの目がすべて潰れていたのである。ハッとして磁石を見ると、目が当たった部分から少し銀色が見えているだけで、全然体積が減っている様子はない。粉は磁石ではなく、ヤスリの目が摩耗したものだったのだ。なんなんだこの物質は? わたしはそれ以来なにかをヤスリで削ることをやめてしまった。

そんなわけで封印されていた疑問だったのだが、つい先日理系の人間と会話する機会があり、唐突に思い出したその疑問をなげかけてみた。相手はわたしの、磁石とはなんぞや、という雑な疑問を真正面から受けてくれて、「ちょっとそれは考えたことがなかった。少し調べてうまい説明の仕方を考えるから待ってほしい」との仰せであった。わたしは存分に待つつもりでいたのだが意外と早く答えが返ってくる。実に2時間後であった。

 

結論から言うと、いわゆる磁石は鉄、もしくは鉄に近い化合物であるということだった。なにせ硬い金属の塊であるからヤスリも削れるほど硬いわけだ。同じ金属でもやわなハンダとはわけが違う。では磁力はなんなのか、という話に対しては、あれは電気の動きによるものだ、という説明だ。

みなは右ねじの法則というのを習っただろうか。わたしも習った気がするのだがいまいち覚えていない。「右手を手の平を下にして握り込み親指だけ横に突き出した形」で表される法則で、人差し指から小指までの4本の指が巻く方向に電気が走ることによって、親指が突き出す方向に磁力が生まれるというものらしい。ちょうど機械部品のコイルがこのわかりやすい形をしている。とにかく磁力の正体は電気だということだった。

しかし待ってほしい、我々が普段手にしている磁石には当然銅線も巻いていなければ電気配線もついておらず、電池だって付属していない。いったいどこの電気で磁力が生まれているというのか。

 

そうしたら難しいことを言われた。

 

「物質の元素の周りには電子というのがあるでしょう」

「ほおん、わからん」

 

なにやら、物質それぞれの元素の周りには電子という小さいものがグルグル回っているのだという。確かになんだか習ったような気もする。わたしには難しいことはわからないままだが、なにやらこのグルグル回るというのがポイントなようだ。先ほどの右ねじの法則でも電気が一定方向に回ることで磁力という別の力が生まれていた。とすると、この電子が安定して一定方向に回りさえすれば、外から電気を通さなくてもそこに磁力が生まれるということになる。つまりいわゆる磁石という物体は、金属が電子を一定方向に安定して回る形になるように加工・成型したものということになるらしい。中には、長い年月をかけて自然とそのような形となった天然の磁石も存在するということだ。

であれば、なにも電子がぐるぐる回っているのは金属に限ったことでもないのだから、回転方向さえ安定してしまえば他の物質でも磁石になり得るということなのだろうか。そう思って聞けば、やはりプラスチックなどでも磁石となり得るということだった。これはなかなか面白い話である。磁石、というとどうしてもあの硬い黒いものを想像してしまうが、本当はそれだけではなかったのだ。身の回りにあるすべての物質は、磁石たり得るのである。

 

「そういえばほら、のりってあるじゃないですか」

アラビックヤマトとかの」

「そうそう。あれがくっつくのも電子の力なんですよ」

「ファー」

 

もうなにがなにやらわからなくなりそうだ。その人が言うには、どうも物と物がくっつく、という現象自体が電子の引き起こしていることらしいのだ。結局それが、いわゆる磁石のような強い力を持った金属製の硬い固形物であるか、セロハンテープやのりや米粒のように薄く引き伸ばせてしまうものかの違いがあるだけで、いずれも電子の力によって対象物をくっつけているということで、いわゆる磁石が主に鉄をひきつけるように、中身の物質の電子の数?回り方?によって何にくっつきやすいかが変わってくるということのようだ。テープやのりは、一度くっついたものをはがすと必ずといっていいほどくっつけた部分が破れてしまうから、一見別のものに見えるが、単に金属は強度があるのでくっついたものをはがしたところで双方とも壊れることはないというだけなようだ。なんだか目からうろこが落ちた気分でわたしは話を聞いていた。

 

「なるほど、男女が恋に落ちる様子を二人の間に電流が走るなんて言いますけど、あれもあながち間違いではないんですね」

 

などとイイ感じに話をまとめようと横から口を挟む人がいる。その場合どういう方向で流れた電流なのだろうか、とわたしは考える。二人が引き合うためには、お互いから相手に向かって回転を描く電流を走らせる必要がある。などと考えるために右腕と左腕でシミュレーションをしていたらなんだかヘビかナメクジの交尾のようになってしまった。そう、彼らの間にもきっと二つの回転があるのである。まるでDNAの二重らせんだ。引き合った末に生まれた我々生きとし生けるものにその螺旋が備わっていることを思うと、なにやらじんわりと感慨深いものがあるではないか。

などと思ったけれど、わたしはそれは黙っておいた。

 

どうにもそんなわけで、わたしたちは孤独を引き合うようにできている。だから遠慮なく、誰かに向けてぐるぐるとコイルを巻くがいい。回転するのはよいことだ。

 

そうしてやはり、とっておきの恋には、発火するほどの電流をだ。